「暖かい友情と家族的な教会」

A. あなたから生きる勇気をいただきました

 「『あなたから生きる勇気をいただきました』と言われることはとても素晴らしく、更に生き続けようというモチベーション(動機)を与えてくれます」と、ジェシカ・コックスさんは言います。彼女は、世界で初めて、足だけで操縦するパイロットとなった米国人女性です。これまでにバレエ、サーフィン、テコンドーなどにも挑戦してきました。彼女は、同じように両腕なしで生まれたある小学生の少女を励まそうと、少女の通う学校でテコンドーのデモンストレーションを行いました。「人生をあきらめてはならない、大丈夫なのだ」というメッセージを伝えるためには、時間をかけて人々と親しく語ったり、自分にできることを示す必要があるのです。
 パウロは宣教の地で、人々と親しく交わり、時間をかけて福音を語りました。

B.聖書より

週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。使徒言行録20章7節
 「パンを裂く」とは、愛餐のこと、つまり、信仰の交わりをもって共に食することです。この食事こそ、キリスト者の交わりであり、暖かい友情の中で守られた、大切なものでした。「パンを裂く」というのは、「キリストが、我々の罪のために、我々にかわって十字架にかかり、キリスト御自身がさかれ、死なれたことのしるし」という意味があります。
パウロは翌日出発するつもりでいたので、この夜長い時間、話をしました。福音の真理は、時間の長さというよりも相手に対する思いやり、誠実な態度によって伝わります。さもなければ信仰生活の極意というものは、なかなか伝わらないのです。

C. 福祉国家を築いた高山右近

 高山右近(1552〜1615)は、信長や秀吉に仕えた、戦国時代を代表するキリシタン大名です。右近は人を裏切るのがあたりまえの戦国時代にあって、最後まで愛を信じました。右近が誠実な人となれたのは、ある事件がきっかけでした。
 12歳で洗礼を受けた右近は、21歳のとき、大阪・高槻城の城主、和田惟(これ)長(なが)に仕えていました。惟長とは、父親同士が友人で、幼いときから共に過ごした兄弟のような間柄で、互いに尊敬し合っていました。ところが、惟長は、家臣たちの人望が集まる右近をねたみ、暗殺を企て、惟長は右近にいきなり切りかかりました。右近は応戦し、惟長を殺してしまったのです。
 兄弟同然の惟長を殺したことを後悔した右近は、自分を責め続けます。苦しむ右近の脳裏によぎったのは、幼い頃に接した、「敵を愛せよ」というキリストの教えでした。右近はあらためて宣教師を招き、話を聞きます。そして、どんな敵でも愛することで味方に変えられるはずだと、悔い改め、信仰を深めました。新しい高槻城の城主となった右近は、キリストのように、たとえ裏切られても愛を貫く大名となったのです。
 21歳で城主となった右近は、キリストの愛を領地で実践しました。まず、領内各地に20以上の教会を建設し、仕事のない貧しい人たちを雇い、管理を任せました。更に、今でいうボランティア団体を組織し、戦いで親を失った孤児の世話や、貧しい人たちの病気の治療を行いました。つまり、領民の生活保障や恩給制度のある福祉国家をつくったのでした。また、他の多くのキリシタン大名したように、寺院を破壊することをせず、仏教に対しても隣人を愛する心で接しました。それまでの領主にはない、思いやりのある政策に人々は感動し、高槻の領民2万5千人7割近くがキリシタンとなりました。
 人が、生きた信仰を持つためには、暖かい友情や家族的な交わりの中で、時間をかけて福音が語られなければならないのです。

D.結び

 友情と家族的な交わりの中で、時間をかけて福音が語られたとき、人は信仰を持ちます。キリストに従うがゆえに、いつの間にか損な役まわりを負わされることがありますが、必ず祝され、勝利します。その喜びを分かち合いましょう。
御翼2011年2月号その2より

 
  
世界で活躍したクリスチャン HOME